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理事長コラム~今月のひとこと~

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生きた証

2009-03-29
 今回は、精神科医の石川憲彦さんがある集会で話した講演の一部を紹介します。障害者の権利条約の批准という外圧にもかかわらず、治療や療育の名の下にふたたび分けるということが評価される風潮さえ感じる今日、今一度ひととしてあたり前に生きるということの原点を考えさせてくれる話だと思います。
 
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 生まれた時からずっと心臓が悪く、2年間病院で育ち、その後はずっと「酸素」を家において使いながら生活していた。「知的な障害」もあり、8歳ぐらいまでしか命がもたないといわれた病気の子どもだった。
 
 その子どもにも、6歳になった時に就学通知がきた。親はひと時でも長く生きてほしいと思い、心臓に負担をかけたくないと学校へやる気もなく、就学通知を破って捨てようとしたが、何か抵抗があって破れなく、ずるずる3月まで日が過ぎた。結局は、「行ってストレスがあって疲れたら、無理しないで休めばいい」ということで学校へ行くことに決めた。
 
 やはり、連れて行くと案の定1,2時間で苦しくなり、家に帰って「酸素」をあびる。次の日はぐったりしているけれど、何日かすると行きたくなるので、しょうがなくまた学校へ連れて行く。それを繰り返しているうちに、親はだんだん学校でもつ時間が短くなり、家で「酸素」をあびて寝ている時間が長くなっていると気づく。それでも行きたがるので親は迷いながらも続け、結局、8歳よりも1年以上早い1年生の秋に命をなくした。
 
 親は1秒でも長く生きてほしいから「しゃべらなくていい」と言ったが、子どもは「みんなにさよならと伝えて」とことばを出し、その約20分後に息を引きとった。その時に親は初めて、学校へ行っていたことの意味がわかったような気がした。
 
 葬儀には、学校のクラス中のみんなが参加してお焼香をした。その席でお母さんは「この子はみんなと一緒の年に生まれて、みんなより早く逝った。実は一番心配していたのは、この子が死ぬときに『苦しいよ』とか『助けて』『何でぼくだけ』、そんなふうに言われたらどうしようと思っていた。だけど、死ぬ最期の時に『ぼくはみんなと一緒の年に生まれて、みんなより先には逝くけど楽しかったよ』『みんなといて良かったよ』『みんなにさよならと伝えて』ということばを最後にして逝ってくれたことが何よりうれしい」と話をした。
 
(第8回「障害児」の高校進学を実現する全国交流集会08.8.30IN三重)

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