理事長コラム~今月のひとこと~
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水俣へのたび
2009-07-01
入り江の多い水俣湾でもひと際小さな袋状の一角に、小さな集落が山際に寄り添うように今もある。そこに水俣病公式確認の発端となった家がある。
「家の窓を開けたらすぐ海で、潮が引いたらカキをとって食べたり、普通にくらしていたんです。それがある日…」(06.5.1西日本新聞から)
話したのは、ユージン・スミスの写真で有名な田中実子さんの姉。奇病、伝染病と怖れられ、「捨て猫のごと扱い」を受けた家族は、きょうだい4人と両親をその水俣病で奪われ、姉が今もなお、一切の福祉を拒絶し、夫と二人24時間介護の必要な実子さんと暮らしている。
50年の沈黙を破って話した理由を姉はこう語る。
「今、言うとかんと終わりになるごと気がして…。みんな終わっとるち言うけど、私たちにすれば終わっとらんですから」。
そんな水俣にはまた、石牟礼道子の『苦界浄土』に出てくるような、豊饒さとふところの深さを感じさせるものがある。ちょうど6月30日の「天声人語」に水俣不知火海の猟師、緒方正人さん(55)の話が載っていた。
「患者には3つの誇れることがある。病に苦しみながらも魚や海を恨まなかったこと。胎児性患者が生まれようとも、子どもを選ばず産み続けたこと、そしてチッソの社員や公務員を傷つけなかったこと」。
目の前に拡がる水俣湾を眺めながら、水俣には、病を受け、障害を受け、怒り悲しみながらも、それでもその後の「もう一つの人生」を生きた50数年の歴史が確かに刻まれていると感じた。水俣胎児性患者はわたしと同年輩である。