理事長コラム~今月のひとこと~
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崩壊とキズナと
2011-03-25
東日本大震災を前にして、ただただオロオロとしている自分がいる。しかし、被害を受けた人たちへの想像力を持ち続けること、原発というものが今も、未来も何ら幸福をもたらさないばかりか人類にとっての大きな災厄をもたらす死の電力・殺人兵器であるという怒りは持ち続けようと思う。
話は一転する。「派遣切り」から生活困窮者が急増した3年前、NHKが「クローズアップ現代」で『助けてと言えない~いま30代に何が~』を特集した。39歳の男性は、母親の位牌の前に敷かれた布団の上で冷たくなっていた。餓死だった。枕元にあった便せんには、たったひと言、「たすけて」とつづられていたという。男性は、競争という自己責任の時代を「負け組」として生きていた。
二つめ。2006年の1月、「刑務所に帰りたかった」と74歳の男性が下関駅を焼いた事件を覚えているだろうか。男性は、放火罪で過去10回服役し、それまでの人生の半分以上44年を刑務所で生活していた。男性は、身元引受人になった北九州ホームレス支援機構の奥田和志さんに、「これまでの人生で何が悲しかったですか」と聞かれ、「10回の(満期)出所で、ただの一度も、だれも迎えに来なかったこと」と答えたという。男性は、幼いころから虐待を受けつづけ、社会を流浪していた。社会はそれを「自己責任」として指弾し、遺棄した。
もう一つ。松藤富隆さんが『ちらくれんだより』にシリーズで載せた「光母子殺人事件」の加害少年である。父親による壮絶な暴力の末、人間性を破壊されつくした少年は、12歳のとき、夫の暴力に耐え切れず首つり自殺した母の体内から流れ出る汚物の処理をした。このとき少年の時間は止まった。18歳のとき少年は、女性とその子どもを殺害した。
被害者そして加害者にならなかった私やあなたは、何をしなければならないのか。裁かれるべきはいったいだれなのか。大震災において、なぜ原発そのものが問われることがないのだろうか。
失意の胸へは/だれも踏み入ってはならない/自身が悩み苦しんだという/よほどの特権を持たずしては―
(エミリー・ディキンソン)