理事長コラム~今月のひとこと~
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不登校、リストカットをどう見るか
2012-11-29
新年早々と言われそうですが、新年もくそもなく、昨年9月23日に秋葉原UDXで行われた「朝日新聞&不登校新聞社がつくる不登校セミナー」のなかでの、精神科医高岡健さんによる「いじめ・不登校と精神医療」講演抄録から印象に残ったことばを紹介することにします(『Fonte』12.11.1月号から)。
○不登校に「納得する」とはどういう意味か?
- 仮に学齢期の子が何の迷いや疑問もなく、ただ喜んで学校に行くのならば、それは大人として逆に心配すべき状況でしょう。
- 身体が学校になじめず、きっぱりと休んでいると、私(高岡)から見れば安心できます。つまり、周囲がどう考えるのかが最初のステップです。
- 逆に、周囲が納得していなければ、多かれ少なかれ心に変調を来しやすいものなのです。
○リストカットはどう捉えればいいのか?
- 精神科医は「行う直前」「切っている最中」「切った直後」「その後、しばらくしてから」と段階ごとに詳しく聞きます。すると、たいていは同じようなことを話します。
- 切る直前には言葉に出来ないような苦しさがある。しかし、切っている最中は直後、血がにじんでいるのを見ている瞬間にかぎっては、充実感や「生きている」と実感する。その後「またやってしまった」と後悔して後悔して、自責の念や苦しさが貯まり……という連鎖が生まれます。
- 何が本人を苦しめているのかと言えば、「その後の後悔」だけです。リストカット自体は「本人にとってプラスになっている」ことは、本人、周囲は理解しておく必要があります。
- ただ、叱りつけても傷つけるだけです。「リストカットの中に何があるのか」、そこをひたすら想像することです。
- これは、リストカットだけではなく、暴力や破壊行為も同じことが言えます。自傷や自殺未遂と破壊行為はコインの裏表の関係でしかありません。
- 大人が、世間や常識をきっぱりと捨て、子どもや若者が「本当に大事なことはなにか」」を自分で納得するまで、安心できる場所と時間を提供していく。これしか道はありません。