理事長コラム~今月のひとこと~
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いまや懐かしい?「産学協同批判」
2013-10-23
1970年、私は高校生だった。制服・制帽廃止を求めるクラス討論、全校集会が開かれ、沖縄問題が語られ、部落研(解放研)が結成されていた。一方で、三島由紀夫の割腹事件も話題になっていたが、わたしはと言えば、ノンポリどころか、「差別なんて未来永劫なくならない」と吠えていた、反動的な、というより気の小さいアナーキーな人間だった。そんな私でも、昨今の学校の変わりようには驚きを禁じ得ない。
60年代から70年代にかけて、「(軍)産学協同」は大学にとって共通の批判の対象であった。現在、「産官学協同」は大学の売り物となり、「産学連携センター」等と称する施設を設置する大学も多い。たしかに「象牙の塔」はおかしく、庶民の声を聞くことのできる研究者でなければならない。だが、その「協同」はどちらをむいているか。「御用学者」の破廉恥な姿を、3・11に際して多くの人びとが目にしたはずである。
現在の日本の大学の状況は、半世紀前に大学に通った世代には想像も付かない。採用される助教は「任期制」となり、「国策」に沿わない研究者が、その職を継続できる保障はない。
授業料は高騰し、国立大で年60万円弱、私立文系で150万、私立理系で200万となっている。奨学金制度は有利子で、学生たちを借金地獄に落とし込むものとなっている。年収200万以下の世帯が2割に至る(18歳以下の子どものいる世帯では6パーセントだが、母子世帯では4割)という家計にこの授業料の支出が可能であろうか。
そこで、24時間営業の職場が増える中で、大学生はアルバイトという名の非正規労働力の格好のプールとなっている。かつての勤労学生が昼働いて夜学んだとしたら、今の学生は夜働いて、昼学んでいる。
グローバリズムが「産学協同」の名の下に大学を呑み込もうとしているなら、それを変えるのも、これら学生自身の現実である。