理事長コラム~今月のひとこと~
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地域のみなさんといっしょに
2014-01-23
10年の節目の年から11年めに入ります。たった2人の当事者と3人のスタッフ、ボランティアでスタートしたくれんども、110人(月平均)の当事者、67人のスタッフという陣容になりました。
昨年度は、ささやかな10周年のセレモニーから始まり、放課後等デイサービスの分割、ジョバンニ新拠点の確保という、次代の昼間のメニューの礎を築くことが出来ました。障害者市民の地域における伴走拠点をつくる当初の目的からすると、未だ道半ばというところですが、当事者とスタッフ、家族そして地域は謂わば車を支えるタイヤです。地域のみなさんといっしょに、何とか車を前へ進ませていきたいものです。
閑話休題。昨年末サロンシネマで『ハンナ・アーレント』を観ました。ハンナ・アーレントは、『全体主義の起源』『暴力について』などで有名なユダヤ系政治哲学者ですが、この映画は、アイヒマン裁判の傍聴を通して、ナチスの暴力は、ヒットラーやヒムラーのなかにのみあったのではなく、アイヒマンのような「ただの有能な官吏」やふつうと言われる人々の意識が支えていたことを明らかにしています。アーレントは、それを「悪の凡庸さ」と逆説的に表現しています。
例えばナチスは、ユダヤ人の抹殺計画と並行して、障害者や同性愛者など社会的少数者を抹殺していますが、これは、ふつうの市民が、意識しないうちにその不満のはけ口を、カリスマ的な支配者を通して社会的により弱い人々にむけたに過ぎないというのです。
そしてこの構図は、昨今の日本の社会に似ていなくもない恐怖感がもたげて来ます。社会は、グローバル化と競争のなかでいよいよその多様性と寛容を失いつつあるように見えます。当事者市民からみると、この世の入口(出生前診断)と出口(臓器移植、尊厳死)、そして今のいま、目の前にあるこの日本の社会は、どんな社会に見えることでしょう。
とすれば、私たち障害者市民と支援者がこの10年間、この地域のなかに居場所と共生を求めて貧しくもつましくやって来たことは、他者を、戦争や差別で抹殺・排除しようとするこの社会の「暴力性」に棹さす、小さな社会的実験であったとも言えます。30年も投獄されながらアパルトヘイト(人種隔離政策)と終生闘い、先月5日に95歳で亡くなったネルソン・マンデラ南アフリカ元大統領のことばを借りれば、人々の知恵と力が、どうか私たちとこの社会に「慈悲と寛容」を与えることを願って、今年も小さな歩みをみなさんと重ねていきたいものです。