理事長コラム~今月のひとこと~
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あらためて療育・教育を問う
2016-04-30
ある会での親の発言である。
「ハイハイが変だったので、病院・療育機関併設の機関にかかった。何とか歩けるようになったら、今度はことばがしゃべれるようになるまで通ってくださいと言われた。いつまでがんばらないといけないのかと思った。そのための方法も、ゴールも示してはくれなかった」
これに対する意見の大半は、具体的なスモールステップを提示してはとか、時間をかけてゆっくりと障害受容がはかれるようソフトに対応しては―という意見だった。
このやりとりには、今の療育・教育、あるいは社会が抱えている障害者に対する本質的な課題が投げかけられていると思う。その場で私も何点か気になることについて発言した。
①療育者や教育者側が知らず知らずのうちに背負っているバックグラウンド、前提、善意とも言うべき健常者側の価値観・加害性をまずは意識することが必要ではないか。例:60年代の脳性マヒ者に対する手術。口話教育強制の歴史等々。
②つまり、私たちはしばしば、「世界はいくつもある」という事実を知らないまま、親に善意の価値観を押し付けている可能性がある。そういう中で例えば「特性を理解する」ということが、「ちがいを認める、自分を受け入れる、使えるアイテムは使う」ということにならないで、どこか抑圧的な療育・教育を生んでいる可能性がある。
③その思い上がりの可能性は、乱暴な言い方になるが、本人の自己否定感や、親の「うつ」「虐待」を加速している可能性がありはしないか。
―というようなことを、30数年前の自分自身の苦い経験や、いま目の前にいる当事者、家族を思い浮かべながら話をさせてもらった。温情主義からは、当事者でもある谷口明弘の「依存的自立」とか、熊谷晋一郎の「自立とは依存先を増やすことである」であるという価値観はなかなか理解出来ないのではないか。