理事長コラム~今月のひとこと~
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人のむなしさと自らをムナシク生きるイヌと
2016-06-24
いつものように、オンもなくオフもなくだらだらと仕事をして、ひと息ついていたら、17世紀の哲学者パスカルの警句が目に留まった。
仕事であれ学問であれ遊びであれそれを人間がするのは、「自分」という存在の空しさに向き合わないで済むよう、絶えず他のものへ気を散らしておくためにする「気晴らし」だというのだ。なるほど、何もすることがなければ、人間は空虚な自分に耐えきれなくなるかも知れない。あるいは、何者でもない自分に、それでも「気を入れてやらされる」のはさらにしんどいかも知れない。ますます空虚な自分に気づかされるからだ。しかし、暇つぶし、空しい自分に向き合うのをそらすためにやっていると思えるのであれば、そのためにしているのだと考えれば、オンもオフもなくだらだらしている理由も、それなりに納得がいく。
少し楽になった。パスカルは「パンセ」のなかでこうも言っている。「人の偉大さは、人が自分の惨めさを知っている点にある」(断章397)。
そうして、外で寝ている17歳になる老犬に目をやった。人間で言えば90を疾うに超え、目も耳も不自由で日がな寝て過ごしている。心もち暗い顔をしているようには見えるが、それでも、おのれの存在の空しさに押し潰されもせずたぶん思うことさえせず、17年を生きて今なお寝続けている。人は面倒な存在だ。