理事長コラム~今月のひとこと~
バックナンバー
「隣(トナ)る人」を根づかせること
2016-08-25
児童養護施設「ポート金が谷」の施設長の寺出壽美子さんは、家庭の中に「受けとめ手」が存在しないときには、誰かがその受けとめの肩代わりをすれば、子どもはbeing(ある)を根づかせることができると書いている。施設では毎日、「抱っこして」の大合唱だという。「受けとめ手」は、祖父母でも、近所の誰か、学童職員、教職員、誰でもいい、抱きしめる行為をくり返すこと、すでに10代後半に成長した若者なら、否定的なまなざしのなかで生活してきたその孤独を抱えるかれらの傍らで、気持ちを聴き続け、内部に存在感覚を根づかせてあげることが大切だという。
また、光の家の子どもの家の児童養護施設長の菅原哲男さんは、施設で生活している10代の子ども時代に大切なことは、その子どもの内部に「隣(トナ)る人」を根づかせることだと書いている。
さらに、毎年くれんどの職員もその研修を受講している三好春樹さんは、その著『関係障害論』のなかで、ボケたおばあちゃんが「おかあちゃん」と言って抱きつき人生の最後を過ごした相手が、若い20代の男性の職員だったエピソードを紹介している。考えてみれば、私たちもまた、大小依存して暮らしていることに気づかされる。
しかし現実には、克己心と自己責任が、その裏で同時に分離と選別、排除がいま療育の現場でも進行しているように見える。
きれいごとではなく、人がいつ自分であることを取り戻していくかは、少なくとも社会から蹴り出すことでは解決しない―という事実を踏まえれば、共に生きること、自ら「隣る人」となる努力を続ける以外に私たちのしごともまたないのではないか。