理事長コラム~今月のひとこと~
バックナンバー
「抱樸」(荒木=樸を抱くということ)
2016-12-25
昨年の11月だったか、元SEELDsのメンバーだった奥田愛基の「いじめから逃げる」という特集番組を、ハートネットTⅤで途中から見た。中学時代に「死んでほしい人NO1」に挙げられるなど壮絶ないじめによって不登校になり自殺未遂をはかった奥田さんが、八重山・鳩間島(島ぐるみで不登校の子どもたちを受け入れている)の仲宗根豊さんとの出合いによって、「生きていていいんだ」と思えるようになったこれまでのことが、風間俊介(俳優)やAI(アーチスト)との対談で語られていた。詳しい経緯は、『変える』という著書に書かれているらしい。
印象に残ったのは、加害者の一人となった相手がインタビューで登場していたこと、奥田さん自身も、いじめによって「存在を透明にされた」ことに未だに苦しんでいる節が見受けられたことである。「加害者」「被害者」双方がともに何かしらの負い目とわだかまりをひきずりながら、それでも向き合おうとしている姿が印象に残った。
もう一つは、両親へのインタビューである。父親は、あの「北九州ホームレス支援機構」(現抱樸館)の牧師奥田和志さんである。くれんどの「行くところ、すること、帰るところ」というキャッチフレーズも、奥田さんのことばをパクった。下関駅放火事件を起こした老人の身元引受人となったり、毎夜路上に座り込み、路上生活者の目線で支援をして来た人である。その奥田さんにして、「路上生活者に対する視線と、子どもに対する視線はどこか違っていた」というようなことを、涙を浮かべて話していたことが印象に残った。私自身どこか奥田和志さんの姿に自分を重ねて、自身の負い目を軽くしたかったからかも知れない。
人は、出合いによって変わる。出合い直しによっても変わる。2017年、くれんどがそのような出合い直しの場を、誰でもないだれかに提供することができたならこの上ないことである。