理事長コラム~今月のひとこと~
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一匹の蝶に重ねる想い
2019-04-10
1930年代に活躍した詩人・安西冬衛に、「春」と題した詩がある。
てふてふが一匹 韃靼(だったん)海峡を 渡って行った。
短詩型文学・一行詩の最高傑作の一つと言われる。「韃靼海峡」という荒々しく寂寥とした感じと、「一匹のてふてふ(蝶)」という、はかなげな感じとの落差がたまらない。1920,30年代のアバンギャルド、モダニズム文化を象徴する詩でも言われる。
安西冬衛は、当時植民地だった大連に数年暮らしていたことがあり、この詩は大陸側から詠んだと解釈されている。韃靼海峡はシベリアとサハリン(樺太)との間にあるタタール海峡のことで、往時は「間宮海峡」とも呼ばれたこともある海峡である。
大陸とサハリンの間の海峡というから、とんでもない距離だと思い込んでいたが、このたび地図で調べてみてその近さに驚いた。いちばん近いところは6キロほどしかない。これなら、蝶にしたって何とか越えられる距離だろう。実際、春になると、シベリア側からサハリンに渡る蝶は、割と見かけられるものらしい。もっとも蝶の中には、千キロも移動するものもいるというから、数キロの距離ならそんなにめずらしくはないのかも知れない。
これが出る頃は立夏を過ぎているだろうが、春になると、ときにこの詩を思い浮かべることがある。望郷の念をうたった詩という解釈が一般的だが、いろいろな読みかたのできる詩である。揺れながらそれでも波間を飛んでいく一匹の「てふてふ」に、くれんどの姿を重ねて思いを新たにするというのはどうだろう。