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理事長コラム~今月のひとこと~

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「宣言」の意味するものと背負うことのしんどさと

2023-06-14
 『全国不登校新聞』(23.4.15)を読んでいて、つぎのような対談のひとコマが目にとまった。

「高校卒業後も「不登校の私で生きていく」という意識が強くありました。でも「不登校だからこそ」というのは自分への呪縛。逆に苦しさが生まれてしまうんです」(前北フリースクール全国ネットワーク事務局長)
「不登校をアイデンティティにすることで自己を確立し、生きる力になる子どもがいる一方で、よけいに苦しくなる子たちもいる、ということですね」(茂手木編集長)

 学校を拒否することによって学校化社会を告発した80年代90年代の不登校運動だが、その当事者としての役割、十字架を背負わされる苦しさを、ある意味告発する内容だった。

 そもそも、不登校者にとっては、「不登校の私で生きていく」という自分を受け入れていくこと自体が、いまの学校化社会、社会的価値観の前に、なかなかにやっかいな作業である。3月に亡くなった評論家の芹沢俊介さんは、『引きこもるという情熱』の中で、引きこもるという行為は、「自分らしさを守るために、もう一つの自己、つまり社会的自己から逃れること」だと定義している。その文脈で言えば、「不登校をアイデンティティに社会的にアピールする」という、つまり「不登校宣言」は、やっとの思いで社会的自己から解放された不登校者が、ふたたび不登校者という社会的自己を生きることを迫られる苦しさにほかならない、ということだろう。

 同じようなことは、障害者にも言えるかも知れない。くれんどでは毎年、重度訪問介護従業者養成研修を開講している。重度訪問介護とは、身体介護や家事援助、外出支援を含んだ長時間型の福祉サービスだが、これは、低報酬のゆえになかなか広がらないものの、障害者の自立生活運動抜きには制度化されることのなかったメニューである。70年代80年代の障害者にとって、施設を出て地域で暮らすことは、まさに命をかけた闘いだった。障害があっても、一人の市民として地域に生きる権利があるという、「障害者宣言」とたたかい抜きには地域生活は成り立たなかったのである。

 しかし、その先頭に立つ中井泰治さんなど自立生活者はとってもしんどい。モノ言わぬ、モノ言えぬ当事者の分まで、ロールモデルとしての期待を背負わされるのであればなおしんどい。

 不登校当事者であった冒頭の前北さんは言う。

「不登校になってつらい思いをしている子どもたちが主体性を取り戻すときに、何が必要かというと、「好きなことをする」、これしかないんです」と。

 障害者にとってもそうかも知れないと、思ったりする。「好きなことをする」、それがたたかいなのだ、ということは分かる。しかし、それだけでいいのかという思いもやっぱり拭い切れない。みんなが背負うことではないだろう。しかし、だれかが背負わないといけないのだという思いも消えない。

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