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理事長コラム~今月のひとこと~

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ちらくれんからくれんどへ~反差別・地域・当事者主体~

2023-02-15
 ちらくれん(芸南地域を楽しむ連絡協議会)という任意団体から、地域ネットくれんどという事業体を立ち上げた2003年までの歩みを、地域を切り口にざっとふり返ってみたい。

 ちらくれんの団体で古いのは、1982年に発足した語る会(障害をもつ子どもの育成について語る会)だ。安浦の小中学校・普通級に通う子どもたち、後には高校に通う子どもたちの親が中心の会だった。初期のメンバーの子どもたちは、もう50歳が近くなる。

 「地域でともに学ぶ」ということが日本においてクローズアップされたのは、70年代の終わりだ。1979年に養護学校が学制発布から100年遅れて義務化されたが、それに反対する闘いが各地に起きた。理由は、就学猶予・免除者は減らず、地域の学校に通っていた障害児も、一律に遠くの養護学校に行かされることに対する異議申し立てだった。

 広島でも、80年代に入って反義務化のうねりが大きくなり、3件の大きな闘争が起きている。当初主導したのは、学校の同和教育・解放教育運動や教職員組合だった。反差別と地域ということがその背景にあった。そんなことから、語る会の発足当初は、学校の教職員が運営を担っていた。85年には、県内の親の会、市民団体、当事者団体(青い芝の会、全障連)、それに前述の学校関係団体で、第1回の「共育・共生を考える広島県集会」が開かれ、共生連の発足につながる。

 80年代から90年代にかけての動きで、反差別、地域と並んでもう一つふれておかないといけないのは、当事者主体とマイノリティの権利という問題だ。当時、私はろう学校にいたが、そこで当事者団体から指摘されたのは、ろう者集団の保障ということだった。「共育・共生というなかでバラバラにされたのでは、われわれろうあ者は自分たちの言語文化を失う。聴者マジョリティによる同化政策に等しいではないか」という指摘だった。その時、スウェーデンでは特別支援学校は解体したが、ろう学校は残したという話を聞いたことを覚えている。

 90年代に入ると、地域での生活が切実な問題として浮かび上がって来た。当時、自立生活運動は、継続的な介助体制の維持に苦慮し、卒業後知的障害者が通うところは小規模作業所くらいしかなかった。町内の作業所が出来たのは、91年頃だったか。そのあたりのもう一つの行き場所、居場所をつくる試みが、97年のちらくれん(芸南地域を楽しむ連絡協議会)発足だった。

 ボランタリーな力では、とても中井きょうだいの生活や語る会の子どもたちの継続的な居場所を保障することは出来ない、かと言って町行政へ措置保障を求めることにも限界を感じていたところへ出てきたのが、2003年の支援費制度(障害福祉サービス)だった。くれんどは、前年に法人格を取り、この年の4月、事業を開始した。今からちょうど20年前のことだ。

地域ネットくれんど
広島県呉市安浦町水尻1-3-1
TEL.0823-84-3731
FAX.0823-84-4041
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1.地域生活支援
2.子ども・家族支援
3.地域協働
4.企画イベント

5.養成研修
6.当事者活動

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地域ネットくれんどは、障害をもつ人たちや高齢者が、地域社会でいきいきと安心して暮らせる、トータルシステムの構築をめざしている、非営利の事業所です。

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