理事長コラム~今月のひとこと~
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総論賛成、各論反対―を前に
2022-05-23
障害者との共生やインクルージョンに、異論をはさむ人はあまりいないだろう。総論では賛成なのである。法制度はむろん、そのことを担保している。障害、障壁は、本人ではなくむしろ周りにある、障害者の活動や参加を阻害しているのはつまるところ環境にあると。
ところが、となりに障害者が来るとなると、話は別である。新型出生前診断では、94%の人が中絶を選択し、隣地にグループホーム(※)や障害者施設が出来るとなると、たちまちにして反対運動が起きる現実がある。いわゆる総論賛成、各論反対―というものである。
70年近くきょうだい、子ども、孫と、障害者が家族にいる環境のなかで暮らして来た私としても、こうした「各論反対」の思いに通ずる気持ちが私自身のなかにあることを認めないわけにはいかない。そうした面を見透かされたか、若い頃、脳性マヒ者から「親やきょうだいが一番憎い」と糾弾されたことのあったことを昨日のように、ときに思い出す。
私自身は、こうした「しんどいなあ」「やっかいだなあ」「いやだなあ」という思いを引きずりながら生きて来て、それでも「やっかいな」「どうにも変わりようのない」「変なところのある」人たちを面白いと感じたり、救われることもあって、その多様性、ゆるさは、もしかしたら社会を変える力になるかも知れないと考えることもあったり、この人たちといっしょに何とかしたいと思うときもあって、くれんどの事業にかかわり続けて来たように思う。
2003年の4月に事業を始めて19年、毎月250名近い当事者が出入りし、スタッフも100余名となった。掲げる目標は「障害者を市民に」、地域におけるセーフティネットの構築と障害者の出番づくりを通しての地域のリメイクである。さらに言えば、多様さ(障害者)は、社会(世界)を救うという矜持がないこともない。
各論反対―であっても構わない。私自身だって、相当にやっかいな気分を抱えて、いろんな気持ちに揺さぶられて生きて来た。それでも、ちょっとでも、居て、かかわって、生きてて、少しでも良かったと思えるようなことを、くれんどを通して見つけられればとも思う。
(※)くれんどのグループホームでは、隣保から歓迎された。これが、希望の一つである。
ところが、となりに障害者が来るとなると、話は別である。新型出生前診断では、94%の人が中絶を選択し、隣地にグループホーム(※)や障害者施設が出来るとなると、たちまちにして反対運動が起きる現実がある。いわゆる総論賛成、各論反対―というものである。
70年近くきょうだい、子ども、孫と、障害者が家族にいる環境のなかで暮らして来た私としても、こうした「各論反対」の思いに通ずる気持ちが私自身のなかにあることを認めないわけにはいかない。そうした面を見透かされたか、若い頃、脳性マヒ者から「親やきょうだいが一番憎い」と糾弾されたことのあったことを昨日のように、ときに思い出す。
私自身は、こうした「しんどいなあ」「やっかいだなあ」「いやだなあ」という思いを引きずりながら生きて来て、それでも「やっかいな」「どうにも変わりようのない」「変なところのある」人たちを面白いと感じたり、救われることもあって、その多様性、ゆるさは、もしかしたら社会を変える力になるかも知れないと考えることもあったり、この人たちといっしょに何とかしたいと思うときもあって、くれんどの事業にかかわり続けて来たように思う。
2003年の4月に事業を始めて19年、毎月250名近い当事者が出入りし、スタッフも100余名となった。掲げる目標は「障害者を市民に」、地域におけるセーフティネットの構築と障害者の出番づくりを通しての地域のリメイクである。さらに言えば、多様さ(障害者)は、社会(世界)を救うという矜持がないこともない。
各論反対―であっても構わない。私自身だって、相当にやっかいな気分を抱えて、いろんな気持ちに揺さぶられて生きて来た。それでも、ちょっとでも、居て、かかわって、生きてて、少しでも良かったと思えるようなことを、くれんどを通して見つけられればとも思う。
(※)くれんどのグループホームでは、隣保から歓迎された。これが、希望の一つである。