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なぜ問われ続ける「障害者の生きる意味」
2025-12-19
11月の初め、東京で持たれた「臓器移植法を問い直す市民ネットワーク」主催の市民講座に参加しました。副題の講演、杉岡良彦・京都府立医科大学大学院医学生命倫理学准教授の話が聞きたかったからです。杉岡さんは、『フランクルと共苦の思想』(ヘウレーカ)の著者です。フランクルとはアウシュビッツ収容所から生還したあの『夜と霧』の著者、実存分析(ロゴセラピー)のヴィクトール・フランクルです。実存分析(ロゴセラピー)とは、「実存は本質に先立つ」という哲学的な実存主義とは異なり、苦悩や逆境そのものが人生を意味あるものにする可能性があると主張する心理療法です。そしてフランクルは、「どんな人生でも生きる意味は必ずある」「生きる意味は、人生がわれわれに問いかけている」と説きました。
それでも社会は、2016年の津久井やまゆり園事件や京都ALS事件、新型出生前診断から「尊厳死」に至るまで、理不尽にも「障害者に生きる意味」を問いかけて来ます。そしてこの優生思想は、私たち自身、いやわたし自身にもやっかいに張り付いていることを告白しないわけにはいきません。どうしても大荷物をいくつもぶら下げて歩き、所有欲の強い娘に、私はよく陰性感情をぶつけてしまいます。
こうした自分自身の鬱屈を、つい講演者の杉岡さんにも吐き出しました。杉岡さん自身も、①患者から悪態をつかれたり、殴られかかったりしたときにはつい陰性感情を持ってしまったこと、②パニック障害になって、2週間身動きが出来なくなったときの絶望感について語られました。そして、その苦悩すること自体に意味があるのだとフランクルを通して感じられたのが、抜け出すきっかけになったと言います。フランクルは、否定的な状態と自分とに心理的な距離を取る「自己距離化」というワードを使っています。
杉岡さんが自分助けのために良かったと紹介されたのが「内観療法」です。内観療法は、浄土真宗の「身調べ」を基に吉本伊信が開発した心理療法で、身近な人との過去のかかわり(「してもらったこと」「お返しをしたこと」「迷惑をかけたこと」)を徹底してふり変えるというものです。この内省を通して、「生かされている」ということ、つながりの中で生きていること、被愛感、生きている意味に気づくというものです。
2つ目に紹介されたのが、朴光駿(パク・カンシュン)の『共生の哲学』(明石書店)を通しての「自立神話」批判、小松美彦の『自己決定権は幻想である』(紀伊国屋書店)を通しての「自己決定神話」批判です。こうした自立・自己決定権思想が、「サポートされる状態になることを極端に恐れる風潮」を生み出し、役に立たないとされる安楽死法や戦争体制を加速させていると言います。
役に立たないとされるこの人たちのそれでも他者から問われる生きる意味は、どこにあるのか。私がよく言っているのが、このやっかいな人たちとのつき合いが、戦争を抑止しているという事実です。このやっかいな人たちとつき合っていると、「戦争どころではなくなります」。今のところ、これがしっくりと来ます。
もう一つは、この人たちとのつき合いのポジティブな意味を主張することです。競争とか効率というスケールでは測れないこの人たちとの暮らしが、どれだけ地域や社会に貢献しているのか、アドボケートするのは、そこで働いている私たち一人ひとりです。
それでも社会は、2016年の津久井やまゆり園事件や京都ALS事件、新型出生前診断から「尊厳死」に至るまで、理不尽にも「障害者に生きる意味」を問いかけて来ます。そしてこの優生思想は、私たち自身、いやわたし自身にもやっかいに張り付いていることを告白しないわけにはいきません。どうしても大荷物をいくつもぶら下げて歩き、所有欲の強い娘に、私はよく陰性感情をぶつけてしまいます。
こうした自分自身の鬱屈を、つい講演者の杉岡さんにも吐き出しました。杉岡さん自身も、①患者から悪態をつかれたり、殴られかかったりしたときにはつい陰性感情を持ってしまったこと、②パニック障害になって、2週間身動きが出来なくなったときの絶望感について語られました。そして、その苦悩すること自体に意味があるのだとフランクルを通して感じられたのが、抜け出すきっかけになったと言います。フランクルは、否定的な状態と自分とに心理的な距離を取る「自己距離化」というワードを使っています。
杉岡さんが自分助けのために良かったと紹介されたのが「内観療法」です。内観療法は、浄土真宗の「身調べ」を基に吉本伊信が開発した心理療法で、身近な人との過去のかかわり(「してもらったこと」「お返しをしたこと」「迷惑をかけたこと」)を徹底してふり変えるというものです。この内省を通して、「生かされている」ということ、つながりの中で生きていること、被愛感、生きている意味に気づくというものです。
2つ目に紹介されたのが、朴光駿(パク・カンシュン)の『共生の哲学』(明石書店)を通しての「自立神話」批判、小松美彦の『自己決定権は幻想である』(紀伊国屋書店)を通しての「自己決定神話」批判です。こうした自立・自己決定権思想が、「サポートされる状態になることを極端に恐れる風潮」を生み出し、役に立たないとされる安楽死法や戦争体制を加速させていると言います。
役に立たないとされるこの人たちのそれでも他者から問われる生きる意味は、どこにあるのか。私がよく言っているのが、このやっかいな人たちとのつき合いが、戦争を抑止しているという事実です。このやっかいな人たちとつき合っていると、「戦争どころではなくなります」。今のところ、これがしっくりと来ます。
もう一つは、この人たちとのつき合いのポジティブな意味を主張することです。競争とか効率というスケールでは測れないこの人たちとの暮らしが、どれだけ地域や社会に貢献しているのか、アドボケートするのは、そこで働いている私たち一人ひとりです。
