事務局長コラム

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出来ることは自分でやって

2025-07-18
 「出来ることは自分でやって」。日常的にはむしろよく使われるフレーズかも知れない。むろん、出来ないことが出来るようになることは悪いことではない。出来ることが増えれば、たとえば好きな時間に一人で好きなところに行けるようになるかも知れない。また、障害者が働いて稼げるようになること、くれんどの事業収益が上がることも悪くはない。収益が増えれば工賃が上がり、好きなものが買えたり貯金が出来るかも知れない。

 しかし、出来るようになることが至上課題となると、話は別だ。その昔、発達保障論者のなかに、そんな乱暴な議論をする人もいた。

 くれんどでも、ときに当事者の語り合いの会「しゃべろう会」などで、「自立のために自分ですることは必要では」という職員からのことばや、「利用者のほうも介助に協力してほしい」ということばを、職員のしんどさを当事者に転嫁するかのような発言と受け止めて、当事者から次のような提起をされることがある。

出来ることを増やすことが、くれんどの方針なのか?
障害者の働くって?障害者の自立をどうとらえているのか?
スタッフは、利用者をどうみて、どんな関係づくりをめざしているのか?

 これらの提起については、今後ともくり返し議論していかなければと考えているが、ここでは私個人の基本的な受けとめを表明しておきたい。

 まず考えたいのは、なぜ当事者は「出来る」という言葉に敏感なのかということだ。「出来なくたっていい」「働かなくたっていい」と主張しているようにも見えるが、なぜそう言うのか。

 このことを理解するためには、障害者が置かれて来た歴史的背景や社会的なまなざしを理解する必要がある。多くの障害者が居場所さえ持てずに隔離され、抹殺されることさえあった。サバイブした人も、訓練の強制や底辺で働くことを余儀なくされ、「出来ること」を強制されてきたという歴史的背景がある。

 今もなお、社会的居場所を持たず、家族基盤の不安定な中で漂っている人たちもいる。そんなとき、「出来ることは自分でやって」と言われ、「これ以上何を頑張れというのか」と身体が拒絶してしまったとしても無理はない。

 では、どうすればいいのか。それは、頑張らなくても、出来なくても、食べるだけでも、生きてていいと言えるかどうか。それが出発点だ。そして、「自分でやって」という前に、共に楽しみ、共に食べ、共に働き、共に寝るという協働の体験が何より大切なことだ。くれんどはそうやって「居場所」「働く場所」をつくってきたのではなかったか。

 making(させること)以前にdoing(すること)、doing(すること)以前にbeing(あること)が認められなければ、人は拠りどころを失ってしまうと児童精神科医のウィニコットは言う。幼児がひとり遊びを始めるには、まず安心できる基地(他者)が必要と言うのだ。

 さいごに、吉野弘の詩の一節を紹介したい。

「生命」

生命(いのち)は/自分自身だけでは完結できないように/つくられているらしい
花も/めしべとおしべが揃っているだけでは/不充分で
虫や風が訪れて/めしべとおしべを仲立ちする
生命は/その中に欠如を抱き/それを他者から満たしてもらうのだ

社会福祉法人くれんど
広島県呉市安浦町水尻1-3-1
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地域でともに生き、ともに遊び、ともに働き、ともに暮らす。くれんどは、そんな暮らしや仕事のモデルを実現するために、行くところ、すること、帰るところをつくっています。障害のある人の出番づくりや地域協働事業など、持続可能な地域づくりの担い手の拠点として、活動を広げています。








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