なぜ福祉に足を踏み入れたのか
2026-03-30
昨年の暮れになるが、職員に教えてもらって、三好春樹(生活とリハビリ研究所代表)のフェイスブックを開いてみた。12/3(水)13時15分のつぶやき、高口光子さん(元気がでる介護研究所代表)といっしょにいるとの記事でした。
◆生まれ故郷の、呉市に呼んでもらった。(※1)
「くれんど」さんのおかげ。
いただいた、20周年記念誌の、理事長さん(※2)の文章に感激。
ほぼ私と同世代だが、福祉の世界に入った動機が、私は偶然だが、彼には内在性がある。
さらに、青い芝の会などの障害者や、沖縄からの告発を、私は、倫理主義的にしか受け止められなかったけど、彼は、反対に楽になった、と語る。(※3)
この原体験には敵わない。
ちなみに、この事業所、近く、あの高口光子さんを、研修に呼ぶという。(※4)
勇気ある現場である。
(※1)くれんどが事務局をしている呉市自立支援協議会が11/25に開催した「三好春樹の虐待防止研修」のこと。
(※2)私小河のこと。20年史に書いたのは3年前、くれんどは当時NPOで、私は理事長をしていた。20年史はくれんどのホームページにアップしている。
(※3)三好さんは団塊の世代。高校時代に校長室を占拠して退学処分になっている。その後、職を転々とし、福祉にたどりつく。その著書、講演はめっぽう面白い。
(※4)やはり自立支援協議会の定例会で、年が明けて1/20、「人手不足を分析しよう~なんでもかんでも人手不足のせいにするな」をテーマに、高口光子さんに話をしてもらった。
このあとに、20年史の表紙と私が書いたページを写真で掲載してくれていました。「もう一つの世界の可能性」という私が書いたコラムから、「告発でかえって楽になった」と書いている部分を紹介します。
◆生まれ故郷の、呉市に呼んでもらった。(※1)
「くれんど」さんのおかげ。
いただいた、20周年記念誌の、理事長さん(※2)の文章に感激。
ほぼ私と同世代だが、福祉の世界に入った動機が、私は偶然だが、彼には内在性がある。
さらに、青い芝の会などの障害者や、沖縄からの告発を、私は、倫理主義的にしか受け止められなかったけど、彼は、反対に楽になった、と語る。(※3)
この原体験には敵わない。
ちなみに、この事業所、近く、あの高口光子さんを、研修に呼ぶという。(※4)
勇気ある現場である。
(※1)くれんどが事務局をしている呉市自立支援協議会が11/25に開催した「三好春樹の虐待防止研修」のこと。
(※2)私小河のこと。20年史に書いたのは3年前、くれんどは当時NPOで、私は理事長をしていた。20年史はくれんどのホームページにアップしている。
(※3)三好さんは団塊の世代。高校時代に校長室を占拠して退学処分になっている。その後、職を転々とし、福祉にたどりつく。その著書、講演はめっぽう面白い。
(※4)やはり自立支援協議会の定例会で、年が明けて1/20、「人手不足を分析しよう~なんでもかんでも人手不足のせいにするな」をテーマに、高口光子さんに話をしてもらった。
このあとに、20年史の表紙と私が書いたページを写真で掲載してくれていました。「もう一つの世界の可能性」という私が書いたコラムから、「告発でかえって楽になった」と書いている部分を紹介します。
― 変えてくれたのは、大学卒業後、荒れた高校に就職して出会った生徒たちと、施設を出てシャバで生きようとしていた脳性マヒ者との出会いでした。いずれからも、わたし自身の加害性を指摘され、反対に楽になったのを思い出します。そんなことがきっかけとなって、隠されるのが姉という障害者の宿命と言うなら、姉自身の生きた証、生きた意味は何だったのか、ほかに選択肢はなかったのかあらためて考えるようになり、もう一度地域に向き合おうとしたのがその後の人生だったのではないかと、今では思っています。
「福祉の世界に入ったことに(必然ではなく)内在性がある」と、評価してくれているのは面映ゆいがそうあらねばとは思ってきました。障害当事者からの告発には、当時はもちろん立ち尽くしましたが、後で「楽になった」ことには間違いありません。そして、高口光子さんを講師で呼ぶことに「勇気ある現場」とのからかい半分の評価、うれしい限りです。
フェイスブック、その後開こうとしても、開けませんでした。操作に迷って、変なところをさわったのか、どうやらブラックリストに載ったようです。
(小河 努)
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