障害者から福祉としごとを考える
2026-01-14
高校の定時制から、社会人講話の枠で話をしてほしいと依頼があり、表題のテーマで話をさせてもらいました。今回はそのことにふれてみたいと思います。
「福祉」の一般的な定義としては、「人々が安心して暮らせるよう、必要な社会的支援や制度を整えること」にあります。そして、法制度はみな「障害は(個人にではなく)周りにある」と言い、共育・共生をうたっています。
しかし、現実はどうなのか。便宜的に「出生」「学校」「仕事」「死」という4つのライフステージに分け、そこで実際には何が起きているのか、そのことを支えている社会のもう一つの本音とは何なのかを、私のこれまでの70年ちょっとの、家族に障害者がいた、いる体験に重ね合わせながら考えてみたというのが話の一つの柱でした。社会と私の黒歴史、あるいはトラウマと言っていいかも知れません。
それに対して、くれんどが「行くところ・すること・帰るところ」あるいは、「セーフティーネットと出番・地域づくり」をテーマに、この20数年何をつくって来たのか、あるいは、プラットホームから転げ落ちた当事者たちがサバイバーとして、どんなカウンターメッセージをこの社会に投げかけて来たのかということを紹介したのが二つ目の柱でした。ひと言で言えば、障害者あるいは社会のもう一つの世界、可能性と私の希望としての白歴史と言ってもいいかも知れません。
当事者は排除されるなかで、それでもサバイブするなかで、マイノリティの希望を語ってきました。私自身もずいぶん救われ、仕事をする上で力をもらって来たように思います。項目だけですが、少し紹介してみます。興味があれば、ググってみてください。
- doingより前にbeing(ドナルド・ウィニコット)
- Ⅰ was born(詩人 吉野弘)
- 一緒がいいなら、なぜ分けた(北村小夜)
- ろう文化宣言(人工内耳とろう者)
- 自立とは依存先を増やすこと(熊谷晋一郎)
- 安心して絶望できる人生(べてるの家)
- ストレスぜい弱性モデル、自己距離化(ヴィクトール・フランクル)
- 山下清と放浪
- DEI(ダイバーシティ・エクイティ・インクルージョン)とSDGs(持続可能な開発目標)
- 生きている意味は与えられる(ヴィクトール・フランクル)
これらは、当事者、マイノリティはもとよりマジョリティの側に立つ人たちの希望をも拓くことばやワザだと思います。
くれんどのしごとの意味に戻ると、たとえば親・家族にとっても、展望・希望があれば追い詰められることはないと思います。くれんどはその展望・希望の一つを、しごとを通して当事者といっしょにつくっています。そしてまた、地域社会の希望とモデルの一つをつくっています。競争と効率は、私たちの社会自身を追い詰めていることに気がつかないといけません。
(小河 努)
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