育て方を探して
2026-01-14
運勢の本によると2026年は7年間の闇が晴れて、魅力が輝く年になるらしいので期待が高まる今日この頃です。
さて、くれんどでは2025年度、日中一時プリオシン・ショートとらうむには新しく責任者になったスタッフや、所属が変わり新たにプリショ所属になったスタッフがいます。任せられることが増えたこと、一緒に働く仲間が増えることはいつも嬉しく、また心強く思っています。
ただ、そんな中、自分としては大きな不安を抱えていました。それは「人の育成の方法が分からない」ということです。積極的な面談を開催すればいいのか、マニュアルを完璧に作って渡せばいいのか…。2024年度はそれらを意識して試していました。それはそれで意味はあったかなと思ってはいますが、なかなかうまくいかないもどかしさも感じていました。そして、同じ生活支援センターの中でも、引き継ぎや技能の習得に関して思うように伝わらない、難しさを感じる声も聞くことが増えました。これは決して教えられる側に問題があるという話ではなく、これまでと違い複数の新人にいっきに仕事を覚えてもらうという経験がなかったことによる、教える側である自分たちの力不足の結果だと思っています。
そんな悩みを抱えながら過ごしていましたが、同じ悩みを抱える仲間に相談を繰り返し、またネット動画や書籍でいろんな情報を知るうちに、僕の中にあった不安は、いつからかこれで知ったことをどれだけ活かせるか試してみたい! というモチベーションに変わっていきました。
さて、くれんどでは2025年度、日中一時プリオシン・ショートとらうむには新しく責任者になったスタッフや、所属が変わり新たにプリショ所属になったスタッフがいます。任せられることが増えたこと、一緒に働く仲間が増えることはいつも嬉しく、また心強く思っています。
ただ、そんな中、自分としては大きな不安を抱えていました。それは「人の育成の方法が分からない」ということです。積極的な面談を開催すればいいのか、マニュアルを完璧に作って渡せばいいのか…。2024年度はそれらを意識して試していました。それはそれで意味はあったかなと思ってはいますが、なかなかうまくいかないもどかしさも感じていました。そして、同じ生活支援センターの中でも、引き継ぎや技能の習得に関して思うように伝わらない、難しさを感じる声も聞くことが増えました。これは決して教えられる側に問題があるという話ではなく、これまでと違い複数の新人にいっきに仕事を覚えてもらうという経験がなかったことによる、教える側である自分たちの力不足の結果だと思っています。
そんな悩みを抱えながら過ごしていましたが、同じ悩みを抱える仲間に相談を繰り返し、またネット動画や書籍でいろんな情報を知るうちに、僕の中にあった不安は、いつからかこれで知ったことをどれだけ活かせるか試してみたい! というモチベーションに変わっていきました。
そんな意図を汲んでもらい、生活支援センター内に人材育成について学び、語り、試していくことを目指したチームを作ってみることになりました。12月24日に、さっそくの第1回を行いました。メンバーは今まさに多くのスタッフに頼られる立ち位置になった4名のスタッフ。皆それぞれ、人材育成や新人教育について自分は不向きだと感じていて、何で自分が?という思いがあったようです。でも、これって普通のことなんです。初めてのことは不安だし、うまくいくこともあればいかないことの方が多いくらいです。それでも、新人に成長して欲しい、この人にうまくなってほしいと願う気持ちを持てているのであれば、それがスタッフ育成のスタートラインであると思っています。
指導者に必要な姿勢を調べていくと、「共感」と「伴走」の2つのキーワードに集まっていくと自分は感じました。それは何でも知っている、分かる、出来る人が正しい指導者ではなく、今頑張っているその人に、どれだけ寄り添うことができるのか「自分のことを気にかけてくれている、一緒に考えてくれる」そんな関係を作れることが理想的です。
そしてこれは、普段のかかわりにも言えることだと思います。ついつい指示する、教える、という思考にとらわれてしまうことがありますが、本当に必要なのは人と人の付き合いであり、どんな信頼関係を作れるのかということだと思っています。そんなチームが作れることを目指しています。
(かみがき)
地域とつながる―安浦ちぃとプロジェクト2025
2025-12-19
2019年に始まったちぃとプロジェクトも今年で7年目になりました。今年も安浦小学校・安登小学校3年生児童へ、草木染めの出張授業を行いました。
2018年の西日本豪雨で安浦町は大きな被害を受けました。畑に植えていたたくさんの花も被災して枯れていきましたが、その中で奇跡的に生き残ったマリーゴールドがありました。毎年、小学3年生と一緒に「キセキのマリーゴールド」の種をつないでいます。あの災害が風化しないように、ちぃとプロジェクトは始まりました。
今年も、その種から育てたマリーゴールドの花を使って、ハンカチを草木染めする授業を行いました。輪ゴムを巻いて模様をつける工程では、子どもたち同士が「その絞り方いいね」「こうすれば面白いかも」と楽しそうに話をしながら手を動かす子どもたちの姿に、こちらまで温かい気持ちになりました。染め上がったハンカチを嬉しそうに広げる表情を見ると、この取り組みをまた来年にも繋いでいきたいと感じました。
今回は、防災レクリエーションとして、防災に関する手話を学び、車いすでの移動体験も行いました。災害時には、お互いにできることを支え合う場面があることを、授業を通して感じ取ってもらえたと思います。
私は今回2回目ということで緊張していましたが、「大丈夫だよ!」という心強い言葉をメンバーからもらい、無事に楽しみながら授業を終えることができました。
(たけまえ)
福祉就労という選択―親としての半年
2025-11-25
就労継続支援B型事業所「カンパネラ」に通い始めて半年が過ぎた。
学校が掲げる「一般就労を目指す」という方針?をよそに、私たち親子は早い段階で“福祉就労”の道を選んだ。企業見学も行かず、「自分らしく居られる場所」を望んでの決断だった。
4月、通所が始まると本人の緊張はすぐにとけた。だが、気づけば居眠りばかり。休憩室で寝たまま午後の作業に出ていなかったこともある。
「居場所があること」に感謝しながらも、「このままでいいのか」と思い悩む日々だった。
そういう中でこれまでに本気で辞めさせようと思ったのが2度ほどある。
ひとつは、学校時代に比べて外にいる時間が短くなり、生活リズムがだらけてしまったこと。ゲーム時間が増え、「もっと外に出る時間を長くした方がいいのでは」と考えた。
もうひとつはスタッフへの態度。ある人には緊張感を持って接するのに、ある人にはふざけてしまう。そんな様子を他のスタッフが私(職員でもある母)に伝えづらいのではないかと感じたとき、「このままここにいていいのか」と迷った。
家で何度も話し合い、激しくぶつかることも多くなった。
親としても職員としても、「親がどこまで開き直れるか」は大きなテーマだと思う。
迷惑をかける子どもを人に託すことの不安や心の負担は第三者が想像するよりもはるかに大きい。ちゃんとさせたいと願う親は「人に迷惑をかける」ことに対してなかなか寛容になれないからだ。
私の場合、同じ職場にいることでなおさら口出ししてしまう。
本人は「カンパネラ続投」を強く望んだ。
半年の間に堂々巡りの話し合いを何度も経て、本人も少し成長し、私自身もだんだんと開き直れたことで、落ち着きを取り戻してきた。
その間、スタッフのみなさんが本人に向き合い、居眠り対策や言葉のやり取りに丁寧に対応してくれたことも大きい。
これからもきっと悩み、迷いながらも、通所を続けていくだろう。
それはやっぱり「くれんどのスタッフ」を信頼しているから、そしてまさに私たちが構想している“新しい福祉就労の未来”に、希望を持っているからだ。
(おおもと)
学校が掲げる「一般就労を目指す」という方針?をよそに、私たち親子は早い段階で“福祉就労”の道を選んだ。企業見学も行かず、「自分らしく居られる場所」を望んでの決断だった。
4月、通所が始まると本人の緊張はすぐにとけた。だが、気づけば居眠りばかり。休憩室で寝たまま午後の作業に出ていなかったこともある。
「居場所があること」に感謝しながらも、「このままでいいのか」と思い悩む日々だった。
そういう中でこれまでに本気で辞めさせようと思ったのが2度ほどある。
ひとつは、学校時代に比べて外にいる時間が短くなり、生活リズムがだらけてしまったこと。ゲーム時間が増え、「もっと外に出る時間を長くした方がいいのでは」と考えた。
もうひとつはスタッフへの態度。ある人には緊張感を持って接するのに、ある人にはふざけてしまう。そんな様子を他のスタッフが私(職員でもある母)に伝えづらいのではないかと感じたとき、「このままここにいていいのか」と迷った。
家で何度も話し合い、激しくぶつかることも多くなった。
親としても職員としても、「親がどこまで開き直れるか」は大きなテーマだと思う。
迷惑をかける子どもを人に託すことの不安や心の負担は第三者が想像するよりもはるかに大きい。ちゃんとさせたいと願う親は「人に迷惑をかける」ことに対してなかなか寛容になれないからだ。
私の場合、同じ職場にいることでなおさら口出ししてしまう。
本人は「カンパネラ続投」を強く望んだ。
半年の間に堂々巡りの話し合いを何度も経て、本人も少し成長し、私自身もだんだんと開き直れたことで、落ち着きを取り戻してきた。
その間、スタッフのみなさんが本人に向き合い、居眠り対策や言葉のやり取りに丁寧に対応してくれたことも大きい。
これからもきっと悩み、迷いながらも、通所を続けていくだろう。
それはやっぱり「くれんどのスタッフ」を信頼しているから、そしてまさに私たちが構想している“新しい福祉就労の未来”に、希望を持っているからだ。
(おおもと)
それでも私は折れない―ブラジルから日本へ、偏見と差別を越えて―
2025-10-22
私は、ブラジルから日本に来て30年以上になります。まず1990年10月頃に父が来日し、東京で工事現場の仕事をしていました。私が来日したのは 1991年12月24日で母と妹と一緒に来日しました。その日は大雪で、すごく寒い日だったことを覚えています、それから間もなく地震も体験しました。当時ブラジルでは雪、地震、台風がなかったので日本に来てすべてが初体験でした。最初はなんて恐ろしい国に来たのかと思いました(笑)。
■中学校での孤独といじめ
■中学校での孤独といじめ
1992年2月に父の仕事の関係で廿日市に引っ越しました。当時私は小学校6年生で廿日市の小学校に入学する予定でしたが、3月で卒業のため小学校には行かず、中学校からの入学となりました。この時は日本語を一言も理解できない状態でした。そしてここから辛い中学校生活が始まりました。
中学校では、クラスメートからある程度積極的に話しかけられたのですが、数人の男子からいじめを受けました。勉強机を教室から出されたり、弁当の中身をみて気持ち悪い顔をされたり、提出物を破られたり、ある男子からは叩かれることもありました。それで父が学校に行って、その男子に対して「アリネ嫌い?」と言うと、その男子は「嫌い」と返事をしました。そうすると父は「アリネもあなたが嫌い」と言い返し、その男子が驚いた顔をしていました。たぶん自分が嫌われることをしているのに気が付いたのだと思います。それ以降その男子からのいじめはなくなり、ふつうに話しかけられるようになりました。
しかし、日本の学校の規則や学校生活は分からないことだらけでした。日本語もあまり分からず1年生の時は友人もおらず孤独な学校生活でした。毎日ブラジルに帰ることばかり考えていました。でも、不完全ですが日本語を覚えることができました。
■「外人」と呼ばれて
2年生の後半からは、多少ですが自分の思いを話せるようになったことで友だちもでき、学校生活が少し楽しくなりました。中学校で一番嬉しかった出来事は、同じテニス部の女の子がいじめからかばってくれたことです。他の男子部員に外人呼ばわりされた時、その女の子が、「アリネにとってあなたも外人よ」とかばってくれました。外人と呼ぶのはふつうと思われるかもしれませんが、「外人」は「仲間以外の人」「敵視すべき人」という意味があるので差別的に感じてしまう言葉です。なので外国人にあった時には、どんなに嫌な人であっても「外人」という言葉は使わないであげてくださいね。
今でもそうですが、日本語ができても、やっぱり見た目で判断され普段の生活でも差別を多く受けます。例えば、お店に入るだけで万引きを疑われているんじゃないかと思うぐらい後ろを付いてまわられたり、最初から入店を断られたり、「外人に売らない」と言われて追い出されることもありました。ただ歩いているだけなのに皮肉を言われ、これについては、私は言い返して、ケンカになったことも多かったです(笑)。
高校時代にバイトがしたくてもなかなか採用されず、ブラジルから遊びに来ていたおばあちゃんと近所のスーパーに行き、一緒に店長へ話をしてくれたおかげで面接を受けるこができ、やっとバイトをすることができました。
■社会に出てからの仕事と葛藤
高校卒業後は、ブラジル人専用の派遣会社に就職しました。仕事は日系ブラジル人の生活全般の通訳・翻訳・派遣先のスタッフ管理など、何度も夜中に対応することがありました。この派遣会社では外国人に対して不合理な待遇の差が多く、私たち通訳者も嘘をつくことを強要させられていたので、私は納得できず2年でやめました。
その後、妊娠などを経てある会社に入社しました。そこも日系ブラジル人の派遣社員が多くいましたが、リーマンショックが起き、突然会社が「明日から来なくていい」と日系ブラジル人の派遣社員を使い捨てのように解雇しました。なんとかしてくださいと多くの人に頼まれましたが、私一人では何も出来ず、そんな自分に腹が立ち退職することになりました。
ある役場で働くようになり、ここでもリーマンショックの影響で失業した大勢の日系ブラジル・ペルー人が「生活できない」と毎日役場に相談に来ていました。この時、国が外国人に対して帰国支援事業を実施したことで、数人のブラジル人とペルー人がこの支援金を利用して帰国しました。この帰国支援事業は世帯主には30万円、扶養家族ひとりに対して20万円を支給していました。しかし、この帰国支援事業はほとんどの人が利用しませんでした。条件として「当分の間、今もっている在留資格での再入国は認めない」というものがあり、この「当分の間」は期間が定められておらず、また将来、本当に再入国が認められるかも保障がないものでした。そして、一番大きな理由としては子どもたちでした。およそ95%の子どもたちは日本で生まれ育ち、母国に一度も帰ったことがないので、母国の生活になじめない、帰国しても当分の間は日本に帰って来られないので、生活が苦しくとも日本に残った日系ブラジル・ペルー人たちは、生活が安定するまで生活保護を申請していました。ただ、この生活保護のケースワーカーが「お前達は国に帰れ!」「日本で何をしているのか!」などと本当にひどい言い方が多く、差別に絶えながら苦しい生活をしいられていました。それに対して私はごめんねと謝り言葉を選びながら通訳していました。
■かけはしになりたい
これまで読んでいただいた以外にも、いまだに外国人に対しての差別や不合理はあり、苦しい思いをしている外国人はたくさんいます。私でいえば来日から両親は日本語が得意ではなく、日本語に関すること、銀行、役所、病院などすべて通訳させられました。学校でしんどい思いをし、家でもしんどかったので18歳になったら一人でも帰国するつもりでした。しかし、高校2年生の時にいまの連れ合いと出会い、彼の「通訳で人を助けられるじゃないの」の一言で自分の考え方が変わりました。これからも、少しずつでも差別がなくなり日本と外国人が良い関係になるよう、かけはしとなり頑張っていければと思っています。
■くれんどで働いて
くれんどで働いてみて感じたことは、外国人と障害者に共通するマイノリティーは社会的な偏見や差別、制度へのアクセスの困難、そして見えない壁の存在です。ともに生きる社会を実現するためには制度的な支援だけではなく、一人ひとりの理解と社会の一員として受け入れる意識が重要と思っています。
(あんの)
ジョバンニのお弁当と、地域とのつながり
2025-09-30
私たちくれんどスタッフは、障害のある人たちが、地域社会で暮らせるよう支援しています。ジョバンニは、さまざまな障害のある人たちの日中の活動の場として、メンバーが仕事に取り組んだり、居場所として過ごしたりしています。私たちスタッフはメンバーが働きやすいよう環境を整え、メンバーと一緒に仕事をしています。
仕事のメニューの中に、お弁当販売事業があります。
「地域の人と同じように暮らしたい。お仕事したい。地域の人に自分たちのことを知ってもらいたい、障害があってもなくても、たくさんの人と関わりを持ちながら生きていくために、いろんな人と関わりたい」そんなメンバーの思いから地域とのつながりを求め、弁当販売事業を始め、15年目に入りました。
毎朝、厨房ではスタッフとメンバーが一緒に準備を始め、地域の方に喜んでもらえるようお弁当を作っています。お弁当が完成するまで、一つひとつの工程に、思いが込められています。
箸袋は、折り紙で一枚一枚、丁寧に折られています。お弁当のふたの部分には、お客様に少しでも季節を感じてもらえるようメンバーが季節の絵を描き、メッセージを送っています。お弁当パックにおかずを詰める作業をメンバーが行います。
これらの作業は、お弁当事業を始めたときから変わりません。その出来上がったお弁当を、メンバーと一緒に地域のお客様のもとへ配達に行きます。ジョバンニのお弁当は、ジョバンニの畑で採れた野菜も使いながら、ひとつひとつ丁寧に手作りです。高齢者や働く人に安心して食べてもらえるよう、からだにやさしいごはんです。
15年の中で、いろんなお客さまと出会い、別れもありました。お客様がジョバンニのお弁当を楽しみにしてくれ、お弁当を届けると感謝の言葉をかけてくれます。お客様がメンバーの名前を覚えてくれ、「いつもありがとう」「暑いけどがんばってね」そんな声をもらうことで、メンバーは、「自分たちの仕事は、地域の人に役立っている」「地域の人と関われている」と、そんな気持ちになり、やりがいを感じていると思います。
お弁当を通して、作る人、届ける人、受け取る人が自然と繋がっていく。
それがジョバンニのお弁当です。
お弁当は、人を元気にする。
地域の人とのつながりは、ここから始まり、今があります。これからも、メンバーの手から地域の方へお弁当を届けていきたいです。
もし、私たちと一緒にお弁当作りや、メンバーと一緒にお届けに関わってみたい方がいらっしゃれば、ぜひ一度、ジョバンニへ見学やお話だけでもしてみませんか?
私たちは、一緒に活動してくれるスタッフを待っています。
(おおふじ)
仕事のメニューの中に、お弁当販売事業があります。
「地域の人と同じように暮らしたい。お仕事したい。地域の人に自分たちのことを知ってもらいたい、障害があってもなくても、たくさんの人と関わりを持ちながら生きていくために、いろんな人と関わりたい」そんなメンバーの思いから地域とのつながりを求め、弁当販売事業を始め、15年目に入りました。
毎朝、厨房ではスタッフとメンバーが一緒に準備を始め、地域の方に喜んでもらえるようお弁当を作っています。お弁当が完成するまで、一つひとつの工程に、思いが込められています。
箸袋は、折り紙で一枚一枚、丁寧に折られています。お弁当のふたの部分には、お客様に少しでも季節を感じてもらえるようメンバーが季節の絵を描き、メッセージを送っています。お弁当パックにおかずを詰める作業をメンバーが行います。
これらの作業は、お弁当事業を始めたときから変わりません。その出来上がったお弁当を、メンバーと一緒に地域のお客様のもとへ配達に行きます。ジョバンニのお弁当は、ジョバンニの畑で採れた野菜も使いながら、ひとつひとつ丁寧に手作りです。高齢者や働く人に安心して食べてもらえるよう、からだにやさしいごはんです。
15年の中で、いろんなお客さまと出会い、別れもありました。お客様がジョバンニのお弁当を楽しみにしてくれ、お弁当を届けると感謝の言葉をかけてくれます。お客様がメンバーの名前を覚えてくれ、「いつもありがとう」「暑いけどがんばってね」そんな声をもらうことで、メンバーは、「自分たちの仕事は、地域の人に役立っている」「地域の人と関われている」と、そんな気持ちになり、やりがいを感じていると思います。
お弁当を通して、作る人、届ける人、受け取る人が自然と繋がっていく。
それがジョバンニのお弁当です。
お弁当は、人を元気にする。
地域の人とのつながりは、ここから始まり、今があります。これからも、メンバーの手から地域の方へお弁当を届けていきたいです。
もし、私たちと一緒にお弁当作りや、メンバーと一緒にお届けに関わってみたい方がいらっしゃれば、ぜひ一度、ジョバンニへ見学やお話だけでもしてみませんか?
私たちは、一緒に活動してくれるスタッフを待っています。
(おおふじ)

