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理念とコラム

おそれながら、それでも地域で共に生き、死ぬ

2020-06-01
 あれよあれよと広がっていく4月の新型コロナの勢いを見ながら思った。優に10年は面倒をみなくちゃいけない2匹のイヌがいれば、私自身の持病もある。正直なところ、感染したくはない、まだ死にたくはないという思いの一方で、感染すればそれはそれでしょうがないかなといった、どこかでいい加減なというか、あきらめも―感染格差や人工呼吸器の配分などめぐっての治療格差、経済格差を思えば不謹慎だが―個人的にはあった。

 しかし、感染すること以上にこわかったのは、感染させてしまうことだった。「加害者になる」ことだった。首長や専門家、マスコミは「あなたの無責任な行動がだれかの命を奪うかも知れない」と恫喝し、自粛と同調圧力をあおった。その結果、一部「若者」や海外渡航の学生に始まった誹謗・バッシングは、休業しない(できない)店や感染者暴き、医療関係者への中傷・差別・バッシングにまでエスカレートした。

 くれんどは、社会的セーフティネットの一翼を担っているという自負もあって休業することはしなかったが、濃厚接触を回避できない職業柄、被害と加害の双方におびえながら、それ以上にバッシングされることにビクビクしていた。必要以上に身構えたのは、私自身もかつて経験した障害者やその家族が置かれて来たトラウマ体験によるのかも知れない。

 その心配は今のところ杞憂に終わっている。さいわい、それはくれんどに対しても、くれんどの周りでも起きなかった。それどころか、こんな中にもかかわらず、豆ナ茶屋(食堂)やBROTO(パン屋)はむしろ応援していただいた。野菜市にも新しい収穫物を持ち込んでいただいた。本当にありがたいことである。

 14世紀のペストの流行はルネサンスと宗教改革をもたらし、17世紀のロンドンでのペスト流行は産業革命をもたらしたと言われる。グローバリゼーションの申し子と言われもするこのたびの「コロナ騒動」では、どんな変革がもたらされるのだろう。

 18世紀の啓蒙主義思想家・ヴォルテールは、同時代の哲学者ゴットフリート・ライプニッツの、楽天的な世界観を批判して風刺小説『カンディード』を書いている。戦争や大地震など数々の不幸や災厄に投げ込まれ、艱難辛苦の流浪の果てにカンディードは、ライプニッツを想起させるバングロス博士から「(こうしていま命あるのは)やはりこの世のすべてが最善である事は認めざるを得ないだろう」と議論を持ちかけられ、「お説はごもっとも。けれども、私たちの畑を耕さなければなりません」と真の充実した生活は足元にあると答えた。

 開けられたパンドラの箱、閉めることはできないが、コロナ後の世界、抑圧と排外の連鎖をくり返すのではなく、せめてグローバリズムからグローカル社会(グローバルとローカル)、ブロック共同体(例:東アジア経済・生活交流圏)、地域社会、地縁社会(コミュニティカフェ)への転換を推し進めるきっかけとはならないだろうか。

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